長文難解というより意味不明篇~今までの教室を辞める
しばらく2人の先生について、よく考えて、作戦を練ろうと思ってた。
でも、今までの教室もう辞めることにした。
今までの教室の先生、嫌いとかじゃない。
私には口指導が多かったかな…子供さんには弾いてあげてるのみたけど…。
うーん、自分で試行錯誤することが多かったな。
それ自体は悪いことではない。
勉強にもなる。
先生はわかっているけど本人の成長のためにわざと教えない指導というのもあるということは知ってる。
でも、何となく、いつまでも同じ問題点を解決出来てない気がして…というより解決出来てない。
おさらい会が終わったのをきっかけに、思っていることをかなり言ってみた。
うん、やっぱり、先生も子供の頃に欠点などをまともに指導してもらえなかった人ではあるかなと思った。
音高、音大と進むにつれて自分ができてないことを明確に認識できるけど、どんどん質問しにくいことも増えてくるかな(出来ない人は置いてきぼりという…なので言えないという感じ?)。
(よく音大のレッスン動画とか見ると、二人のある部分の奏法が全く違ったりする。でもそんなことは話には上がらない。大学では音楽という芸術の話をするところで、技術の話をするところではないよなと思った。技術も同じでないと、同じ音楽が作れないときもあるとは思うが…。学生さんが弾きにくそうだった…それはキツいと思う。)
話それた。
それが今の先生…かな。
先生は感覚だけで解決しようとしてきたことも多そうで、質問に上手く答えられない部分もあるのかなと。
個性…。
個性を出すには、絶対的な基礎力が必要で、それがないと個性はできないと私は思っている(出来てないことを個性とはいわない、純粋クラッシックとかでは)。
大事にするところが違う気が…。
うーん、まあ、ピアノは様々な楽しみ方があるから、何とも複雑だが汗。
何の個性?という話(極端な例、子どもが足で弾くのは個性なのか汗…まあ手がない人もいるし…私は否定はせんけど…)。
意図があって、インベンション1番弾いてみた。
先生に真似してもらったけど(私からは頼んでないが)、
……
正直(本当にすみまセン)、全然真似になってると思えなかった…私はそんな酷い音でもそんな酷い表現でも弾いてない…と思う。
私の弾いたエッセンス(というか…何と言ったらよいか…?)を弾けているとは全く思えなかった(こうはっきり言うのは、別の先生に同じ真似をしていただいたから…別で書く予定)。
頭でエッセンス(?)は分析できているけど、弾けないだけなのかな…私にはよくわからなかった。
先生が使わないのかな?という弾き方で弾いてしまったと思うので(偉そうで本当にすみまセン…でもたぶん…そうなので…そんな打鍵してないって思ったんで…)。
…まあ、視点が違うだけなのかもしれないが…手本も受け入れられなかった…。
そのインベンション1番が……本当にとても悲しかった…。
いろいろな意味でやっぱりこのままではダメだと思った。
辞める決心がついた。
きちんと思っていること言って(全部では到底ないけど)、ちゃんと話はしたので、まあ悔いはない。
後味も全く悪くない。
指揮者としてはまたお世話になることもあるのだろうか…。
うん……指揮者タイプの先生につくには、自分に能力があるか、すでに基礎が出来上がってないと難しいかな。
感覚的に何となく出来てしまって生きてきた先生についても、私のようなタイプはかなり悲惨だ。
人間は困ってないことについては深く考えないことが多い。
私はなぜ目が見えるのだろう…とか。
ちょっと思うかもしれないけど、真剣には考えないことがほとんど(困ってないから必要に迫られてないし)。
見えにくくなってきたりして、初めて真剣に考えるわけ。
何で見えなくなってる?どうすればちゃんと見える?を考えることは、なぜ見えるかも考えることになる。
そして、人に聞いたり、自分で調べたりしながら、論理的に解決できると、どうしたら見えるかを人に教えることができるまでになる(病が一つと仮定しての話)。
困った経験がなければ、何であなたは目が見えないの?普通見えるでしょ、私にはわからない!になりがち。
まあ、こんな人もいる…目が見えない時、神頼みして偶然治ったという…目が見えないなら神頼みすればいいよ!と教える人(何か脱力の話思い出す…感覚で何となく逃げきった人もこれに近くなると思う…何となく解決しちゃった型)。
あとは困ってなかったけど、目が見えるメカニズムとか病気について教えてもらって、それをそのまま人に伝える人とか(ちょっと薄っぺらいことが多い)。
まあ、これはあくまで極端な例え話(目が見えるメカニズムくらいは困ってなくても誰でも知れるけど)。
技術…別に何となく解決したり自然にできたりするのが悪いとは全く思ってない。
ただ、悩んでるときは論理的に考えるのも手。
感覚で逃げきろうとする過程で手を痛めたりすることはよくある話…手が変形するくらい何度も試したり(非論理的なこともしてしまう)…変形した手を持つ人は感覚で逃げきろうと努力した人が多いのかもしれない。
ピアニストの手って言うのはあるけど、私は変形しているとは思わない。
きちんと使っていると、異常な変形はしないものだと思う。
最後の最後は、技術みたいなもんじゃない、生き様とか性質?とかが一番大きい…(ショパコン…日本に住んでるだけじゃ、ちゃんとショパン弾くのは難しい気がする)。
あるジャンルのピアノではやっぱり基礎がないと入ることも出来ないだろうが…。
技術は論理的に解決できることが多いと今のところは思っている(まあ、わかっていても出来ない…習得に時間がかかるとかはあっても…)。
生き様とか性質?は無理…これが個性になると思う(ショパコン関係で見た、本質のねじ曲げ…変質は個性ではないって…私なんかが到底が関われる話ではなく全くの別世界の話やけどな…なんかショパン弾くの怖いな…まだ弾いてないけど…いや、気楽にやっても全然いいと思う)。
試行錯誤の期間が1年あったことは財産(ちょっと短いかもしらん)。
初めから何もかも教えてもらうのがよいって訳では全然ない。
薄っぺらになりがちやし…。
あ、教えていただいたことももちろんたくさんある!汗。
一体私は何をどこまでしたいんだろう…限りない無限の世界が広がっている。
世界の広さを知れば知るほど、泥沼にはまって戻ってこれない人もいるという…知らなければ、安全だったはずなのに。
知らなければ、好きでいられたのに。
私はたぶん図太い、大丈夫。
全てを受けとめはしながら、でも自分はこれでいきたい…こうしたい…それでいいかな。
というか心配無用、まだ私のレベルは市内?区内?自宅?(笑)
アマゾンの奥地に行ってしまう心配はあんまりないんやない?(笑)
クラッシックは決まりごとが多いから、これはダメとか、あるのはわかる。
わかればわかるほど敏感になる…自分の駄目さもさらにエスカレートしてわかるだろう。
大人のピアノ再開者などでクラッシックしている人は、どこまでも行きたいと皆思っているのだろうか…。
クラッシックを辞める日がくる可能性もある。
そんな覚悟もしてる。
知ってしまったら…そういうこともあるだろう。
今日はカタい。
ダラダラととりとめもなく書いて、たぶん変なこと盛りだくさん。
そんな日もある。
修正は…もうしない。
カタいまま終わる。
↓応援ありがとうございます♪
にほんブログ村