文学にバッハ見つけた
職場には専門書があるが、それ以外の本もある。
仕事、堕落しすぎというメッセージ?(;゜∀゜)
気になってパラパラと見た。
ちょっと時間あったんで。
そしたら、急にバッハ…とか目について、そこだけしっかり読んでしまった。
堕落論の文庫本にはいろいろ入っているが、その中の
“FARCEについて”
にバッハがのっていたのだ。
どんなことが書いていたか手っ取り早くいうと…
ドビュッシーが価値がないというわけじゃないが、単なる描写音楽を反省もなく多く残しているのは何でなん?
バッハの時代にはありえへん。
単なる写実は芸術じゃないやん。
言葉には言葉の、音には音の、色にはまた色の、もっと純粋な領域があるはず。
……
(あ、ちゃんと音楽について詳しくないがと前置きがありマス。)
…まあ、ねえ…。
なぜそのような純粋領域の音楽が生まれなくなったんやろうか…
自分なりにいろいろ理由を考えたり…
……
ちょっといろいろ大量に自由に書いちゃってたけど…
……
ピタゴラス音律からしっかり勉強する必要あるんではないでしょーか(。>д<)
ということで大量削除。
迂闊なことは書けへんな…って、いつも適当ちゃうのん??(;゜∀゜)
……(_ _)
堕落論に入ってた、
“文学のふるさと”
“桜の森の満開の下” ←アニメにもなってる…知らんかった汗。
恥ずかしながら、初めて読んだ。
“文学の…”を読んでから“桜の森…”を読むとなかなか面白かった。
たぶん、“文学の…”を読まずに“桜の…”を読むのと全然違うと思う。
言葉の純粋な領域、文学という芸術…か。
バッハは音の純粋な領域で音楽という芸術作品をたくさん創った…。
って…なんやかんや結局3部も読んでしまった…。
…堕落( ̄ー ̄)
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